Thinking Women

Written by Shashank Lele in 1994-5 Translated by Yoshida Mitsuko

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Location: 京都市, 京都府, Japan

May 27, 2007

第7章(2)

アムハースト通りに住む私の友達、バブール・センはビジュアル偏向だ。彼は映画通である。ゴダールやバーグマンについて何でも知っている。私にはハリウッド系のものしかわからない。バブールはいつも忙しく、彼のオフィスには私のような体の大きなものが入るスペースがない。動けば必ず何かをひっくり返す。例えば、本や、スケッチブックや、電話など特にいつも不安定な場所に置いてあるもの。バブールはいつも非常に忙しいが、私をオフィスに座らせ話させたがる。

「手と耳とは別々さ、それらは独立して働けるのさ」

と、いつも言っている。本当なのだ。彼の細くて長い白い指は、話している間休みなく働く。割り付けをしるし、字を張り付け、写真やら判を固定する。はさみやカッターナイフを驚くほど器用に使う。決して間違わない。消しゴムを使うのを一度も見たことがない。実に訓練されていて、しかも創造性がある。アムハースト通りにある彼の小さなオフィスを訪れると、毎回仕事を見せてくれる。猫を鉛筆でスケッチしたものは素晴らしかった。私が見たことのある猫に酷似していた。

しかしながら、バブールが作るどんなポスター作品よりも、彼自身の方が視覚的にずっと強く打つものがある。彼には何かエーテル的なところがある。体のない頭のようだ。身長150センチ足らずで、体重は40キロを超えることはないと思う。その半分近くは、ふさふさした長い黒髪でぜいたくに覆われている大きな頭の重さに違いない。バブールの目はかすかに青い。リサが指摘するまでは気が付かなかったが、今はよくわかる。バブールにはひげもある。といっても、ひげは髪の毛ほど特別ではない、ただまばらに生えているだけだから。

午後7時過ぎにオフィスを閉め、私がカルカッタに泊まる夜は一緒に散歩に出かける。散歩といっても話を続ける言い訳に過ぎないのだが、一度仕事を止めると、本や写真材料でいっぱいの手狭なオフィスに座っていたくないのだ。

バブールはビジュアル偏向で、金銭的に保障される日が来たら絵を描きたいらしい。自分のためだけに描く絵。

バブールはビジュアル偏向だが、私とは本や、時には作家についてだけ話す。いや、考えてみると、本よりもむしろ作家について。ジョイスの作品を読んだことがあるかどうか分からないが、彼のアイルランドやフランスでの生活、彼が一緒に寝た女たちについては確かによく知っている。

「文学は真実や美と何の関わりもない。それはただ言語と関わり合いがあるだけだ。それをよく覚えておいたほうがいいよ」

パトゥアトラの小道へと渡りながらバブールは言った。

口には出さないが、彼は私が道でぴちぴちしたベンガルの生娘たちに目を奪われて、話しに不注意になるといつでもいらいらする。どうしようもない。この辺の女はかなり早熟である。私のような誰かが見ているのに気が付くと、すぐに服やハンドバッグをいじり始める。さらに、私は恥ずかしげもなく振り返って彼女たちの後ろ姿を見たりもする。

バブールの女への態度が理解できない。それについて彼の兄に一度尋ねてみた。

「あれが落ち着いて金銭的に保障されるようになったら、結婚させるつもりだ」

ばかばかしい! バブールは2、3年とるか加えるかするだけでほとんど私の歳である。少なくとも、間違いなく35以上だ。彼の小さくて窮屈なオフィスに座って想像できることは、彼が1ケ月に1万ルピーぐらいは軽く稼いでいるということなのだ。インドの大都市の中で最も物価が安いカルカッタでは、決して小さな金額ではない。

バブールが女と寝たことがあるかどうか知りたくてたまらない。しかし、ベンガル分割の歴史とかムルシダバードにある記念碑についてドキュメンタリーを作る可能性とか、サルバドール・ダリの奇妙な想像力とかについて私たちが絶えず討論しているときに、とてもそんな質問はできない。

バブールは夜型人間である。毎日午前2時までは寝ない。そして、朝は10時頃にようやく目覚める。午後10時頃カレッジ広場のシャッターが下ろされ、交通が徐々に下火になると、バブールの会話に熱が入ってくる。彼がリラックスして興奮する時、つまり彼はだいたい、時間が遅くなって車の騒音が徐々に静かになり、歩行者の数が減ってくるとリラックスし、自分が当を得た発言をしていると思うと興奮するのだが、そんな時、彼のどもりが完全に消える。彼は自分のどもりを恥ずかしがってはおらず、一日中話しに話すのだが、言葉につまらないでしゃべるのを聞くのは気が楽である。あるいは、毎夕9時以後かそこらに、見すぼらしい、ペンキを塗ってないビルに降りてくる独特のムードにも、私の心は捉えられているのかもしれない。

カレッジ広場をアムハースト通りと繋いでいる道に小さなカフェがある。数ケ月前初めてそのカフェに行った時、いつかそれについて書くだろうと思った。実際には、分厚い壁に開いた深い穴以上の何ものでもない。入口がもっと小さければ洞穴のようだろう。紅茶とビスケットだけが注文でき、新聞がバラバラにされているので、皆が同時に1ページずつ読むことが出来る。

サラトチャンドラ・チャタルジーも、かつてここに来ていたのだと、バブールは私たちがそこに行くたびに思い起こさせる。私は10年程まえ、パリに一週間いたことがある。モンマルトル地区を2、3回訪問したが、何の魔力も感じなかった。恐らくもう新しい建物の下に埋もれてしまっているのだろう。それとも10年前の私にその魔力を掴む素地がなかったのだろうか。バブールの話す量がもう少し減ってくれればと時々思う。しかしそれはそんなに大きな問題ではない。この時間は彼がリラックスして、生き生きしており、どもることなく話しているので、私の返答をあまり気にかけないのだ。そのあいだ私はカフェの削られた壁を見つめることができ、それらが人生について何か教えてくれるかどうか分かるまで待つことが出来る。

人生は今まで私に2、3の試練を与えた。さあ、これから更にいくつ来るのかということが問題だ。

バブールは決して間食をとらない。聖人である。酒も飲まないし、タバコも吸わない。また、私達はとても親しいけれど、彼は決して私の悪徳を批評したりしない。私の欠点のほかには何も考えることがない私の母とは似ても似つかない。

バブールは有名になりたいのだろか? 否と彼は言うが、そのわりにはいつも有名人について話している。彼は茶を運んでくる2人の少年などには注意を払わない。この子たちは、頼めば近くの屋台から焼めしなど運んで来てくれたりもする。バブールはアルジェリアでのカミュの生活について話すのに忙しい。2人の少年は、とても陽気で、けっこう肉付きがいい。2人はバブールと私が連れ同士であるのをとても面白がっている。

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