Thinking Women

Written by Shashank Lele in 1994-5 Translated by Yoshida Mitsuko

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Location: 京都市, 京都府, Japan

February 21, 2007

第4章(3)

この霧は面白い。シャンティニケタンに来る前、シムラ(※ヒマラヤ近くの町)の山で霧が上って行くのを見たことがある。しかし、ここは平地が広がる所なのだ。小高い丘さえ見えない。ところが九月以来、毎夕、小さな球の形をした白い煙が、小川や池、そして木々の群から立ち上っているのを見ている。そして少なくとも、夜遅くなるまでは風景を完全に包みこんでしまわない。そのかわり、細い煙の線となってあちらこちらから上り、風と共に折れ曲がりカーブを描く。実に奇妙で、場所全体を非現実的なものに見せる。

シャンティニケタンには、6月の1週目に来た。気温はその頃、34度と44度の間を移動していた。午後の暑さで誰も動こうとしないので通りには人気がなかった。いたるところ埃だらけで、木々は生気を失ない、みすぼらしく見えた。知り合いもなく、涼しい場所を探して一人で動き回ったものだった。大学は休みで、清涼飲料店も日中は閉まっていた。誰もが雨を待ち望んでいた。

その頃、何故ラビンドラナート タゴールが、有名な教育的実験を始める場所に、こんな生気のない所を選んだのだろうと何度も自問した。彼の詩に描かれたあのシャンティニケタンは、一体どこにあるのだろうと。次のような結論さえ下した、タゴールがこの場所を選んだのは、ある金持ちのパトロンがただでくれたからであり、選んだからには、この学校をなるべく多くの人達に売らなければならないので風景を賛美して書いたのだと。それは、インドの大半の人達が今とにかくやっていることなのだ。そして彼はノーベル賞をとったのではないか。誰が、どのようにしたらノーベル賞がとれるのか、皆承知している。

6月に考えていたのはそんなことだった。今はタゴールが私の思っていたほどペテン師ではなかったと思う。この場所で演じられる稲妻劇は、よく組織された劇場の機械設備をすべて駆使したほどの効果を持っている。以前住んだことのある所では、稲妻は嵐の単なる付属物だった。雷がひどく鳴り、風そして最後に雨。モンスーンの季節には、少なくとも年に3~4回、数分間のこういったショーの待遇をうける。それは激しいものである。子供時代から目撃している。しかし、ここの稲妻は私のそれまで知っていた稲妻と似ても似つかない。それは見る人をぎょっとさせない。閃光というよりウインクに似ている。そして長い時間続くのだ。雲の集まりを、伴わないことがよくある。ほぼ毎夕1時間かそこら、こうした空の手品を見ることが出来る。よく前庭に立って、光と影のこのゲームを見る。ここの稲妻は怖くない。催眠術をかけ、誘惑するのだ。何がタゴールを誘惑したか今よくわかる。

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