第10章(2)
最近、さらに数人の日本の女たちと出会った。インド人仏教僧が大阪に来た。彼の英語は、彼を招いた日本人たちが手に負えるような種類のものではなかった。そこで私が2週間、彼の旅に同伴した。インドでは、こんな仕事はただ同然でしただろう。しかし日本では、何にでもお金を払ってくれる。単に私が日本人でないというだけで彼らはお金をくれるのだと時々感じる。
この僧は一つの寺から別の寺へ、一つの町から別の町へと旅し、私は同伴した。彼は素朴な男だった。大きな剃った頭と、微笑む目を持った育ちすぎた赤ん坊のようだった。一緒に旅行中、インドの事柄について私と討論できるのを彼は喜んだ。彼は仏陀がこの世での旅程を終えたネパール国境近く、クシナガルという所の、貧乏で低いカーストの子供達のために募金集めに来ていた。彼はその子供達のために日本から金を求めていたし、大阪のインド総領事は、ひょんなことで私が参加していた会合で、インドの無職の若者達のために産業を起こす金を日本に求めた。
誰もが日本から金を欲しがる。他の国々は乞うのであるが、アメリカは横柄な態度で要求する。
この催し全体が自分の個人的な楽しみのためだけに準備されたと思っている日本人の坊さん連中の長はとても強烈な男である。彼の寺にいる僧たちはいつも緊張しているように見える。彼らは夕方になり、酒がふるまわれる時を常に待ち望んでいる。
女たちに驚嘆せずにはいられない。彼女らは、この茶番劇を何か本当に良いことのように作り上げようとしている。この強烈な坊さんを大目に見る。夕方になり酒がふるまわれるのをひたすら待つ以外何もしない坊主たち全員をも大目に見るのである。
私の出会った2人の女たちは、それまでの6ケ月間、このインド人僧侶の訪問を成功させようと力を注いでいた。日に20時間、日本人の几帳面さで働いていた。会合、訪問、演説のすべてが抜かりなく計画され、完璧なまでに下準備された。男たちは滑稽だった。新郎のように着飾り、役に立たない孔雀のように気どって歩き回るのだ。
しかも、この男たちは派手なだけではない。いやらしくもなるのである。私の出会った2人の女たちは十分気をつけていなければならない。彼女たちのエネルギーの90パーセントほどが、この役に立たない有力な男たちの言うことに耳を傾け、話を合わせ、彼らの前であたかも13才の初な処女のように振る舞うことに費やされる。
彼女たちは2人とも60近いのだが、この偉い坊さんは酒を繰り返し飲んだ後、何気なく彼女らの尻をつねる。この女たちは、私が起こっていることすべてを目撃しているのに気づいている。しかし、さほど当惑しているように見えない。私は、彼女らの目の端から時々漏れてくる視線を解読することができない。その目に痛みがあるのは確かだ。リサの父親がママの頭をぶった時、その目に見たものと同じ痛み。しかし、その目には、痛みに伴って、ある種の満足、ある種の達成感もある。それが理解できない。それは私を不安にする。
「あなたのご主人可愛いわ」
最後の日、彼女らの1人がリサに言った。
私が出会った2人の女たちを思い出す時、マゾヒストとか殉教者というような言葉が心に浮かぶ。しかし、実際はもっと複雑である。あの2人の女たちは、とても親切であり、とても素朴である。彼女らが分からない。
「何故、彼女らだけでこのチャリティー活動をやれないんだ。どっちみち実際の仕事は全部彼女たちがやってるんだろ。何故、あの好色な馬鹿者や寺組織からの支持が要するんだ?」
とリサに尋ねた。
「単独ですると、彼女たちがあまりにも目立ってしまうでしょ。そんなこと日本では誰もしないのよ」
と、答えた。
「だけどリサ、そうはいってもこの2週間に会った人達の中で、クシナガルの貧しい子供達や仏陀のことに本当に興味を持っているのは、あの2人の女たちだけだったよ」
「それは重要でないの」
「じゃあ金銭的な支持を得るためっていうことか?」
私は引き下がらなかった。
「部分的にはそうだと思うけど、でももしお金があったとしても、彼女たちだけですることは考えられないでしょうね。子供の時から教わってきたことに反するのよ、きっと」
私達は、日本海近くの山のとても高い所にある仏教僧院に一夜泊まった。それは僧たちが修練を与えられる学校のようなものである。
少し歩くたびに「訪問者はこの先に入ることを禁ずる」というような掲示のある場所が私は好きではない。夜中にトイレに行った時、すべてが全く静かで、ほんのわずかな明かりしかない中、私は息を殺した誰かの叫びを聞いた、息を殺してはいるが、静かな夜にかなりはっきりした叫び声だった。私は空想に耽りがちだが、その叫びは、若い男の子が男色家に強姦された時に発する叫びだと、私が想像するものにまさに一致するように思えた。
「あなたのご主人、仏教僧院を訪れた後、とても疲れているように見えたけど大丈夫かしら」
最後の日、女たちの1人がリサに言った。
この僧は一つの寺から別の寺へ、一つの町から別の町へと旅し、私は同伴した。彼は素朴な男だった。大きな剃った頭と、微笑む目を持った育ちすぎた赤ん坊のようだった。一緒に旅行中、インドの事柄について私と討論できるのを彼は喜んだ。彼は仏陀がこの世での旅程を終えたネパール国境近く、クシナガルという所の、貧乏で低いカーストの子供達のために募金集めに来ていた。彼はその子供達のために日本から金を求めていたし、大阪のインド総領事は、ひょんなことで私が参加していた会合で、インドの無職の若者達のために産業を起こす金を日本に求めた。
誰もが日本から金を欲しがる。他の国々は乞うのであるが、アメリカは横柄な態度で要求する。
この催し全体が自分の個人的な楽しみのためだけに準備されたと思っている日本人の坊さん連中の長はとても強烈な男である。彼の寺にいる僧たちはいつも緊張しているように見える。彼らは夕方になり、酒がふるまわれる時を常に待ち望んでいる。
女たちに驚嘆せずにはいられない。彼女らは、この茶番劇を何か本当に良いことのように作り上げようとしている。この強烈な坊さんを大目に見る。夕方になり酒がふるまわれるのをひたすら待つ以外何もしない坊主たち全員をも大目に見るのである。
私の出会った2人の女たちは、それまでの6ケ月間、このインド人僧侶の訪問を成功させようと力を注いでいた。日に20時間、日本人の几帳面さで働いていた。会合、訪問、演説のすべてが抜かりなく計画され、完璧なまでに下準備された。男たちは滑稽だった。新郎のように着飾り、役に立たない孔雀のように気どって歩き回るのだ。
しかも、この男たちは派手なだけではない。いやらしくもなるのである。私の出会った2人の女たちは十分気をつけていなければならない。彼女たちのエネルギーの90パーセントほどが、この役に立たない有力な男たちの言うことに耳を傾け、話を合わせ、彼らの前であたかも13才の初な処女のように振る舞うことに費やされる。
彼女たちは2人とも60近いのだが、この偉い坊さんは酒を繰り返し飲んだ後、何気なく彼女らの尻をつねる。この女たちは、私が起こっていることすべてを目撃しているのに気づいている。しかし、さほど当惑しているように見えない。私は、彼女らの目の端から時々漏れてくる視線を解読することができない。その目に痛みがあるのは確かだ。リサの父親がママの頭をぶった時、その目に見たものと同じ痛み。しかし、その目には、痛みに伴って、ある種の満足、ある種の達成感もある。それが理解できない。それは私を不安にする。
「あなたのご主人可愛いわ」
最後の日、彼女らの1人がリサに言った。
私が出会った2人の女たちを思い出す時、マゾヒストとか殉教者というような言葉が心に浮かぶ。しかし、実際はもっと複雑である。あの2人の女たちは、とても親切であり、とても素朴である。彼女らが分からない。
「何故、彼女らだけでこのチャリティー活動をやれないんだ。どっちみち実際の仕事は全部彼女たちがやってるんだろ。何故、あの好色な馬鹿者や寺組織からの支持が要するんだ?」
とリサに尋ねた。
「単独ですると、彼女たちがあまりにも目立ってしまうでしょ。そんなこと日本では誰もしないのよ」
と、答えた。
「だけどリサ、そうはいってもこの2週間に会った人達の中で、クシナガルの貧しい子供達や仏陀のことに本当に興味を持っているのは、あの2人の女たちだけだったよ」
「それは重要でないの」
「じゃあ金銭的な支持を得るためっていうことか?」
私は引き下がらなかった。
「部分的にはそうだと思うけど、でももしお金があったとしても、彼女たちだけですることは考えられないでしょうね。子供の時から教わってきたことに反するのよ、きっと」
私達は、日本海近くの山のとても高い所にある仏教僧院に一夜泊まった。それは僧たちが修練を与えられる学校のようなものである。
少し歩くたびに「訪問者はこの先に入ることを禁ずる」というような掲示のある場所が私は好きではない。夜中にトイレに行った時、すべてが全く静かで、ほんのわずかな明かりしかない中、私は息を殺した誰かの叫びを聞いた、息を殺してはいるが、静かな夜にかなりはっきりした叫び声だった。私は空想に耽りがちだが、その叫びは、若い男の子が男色家に強姦された時に発する叫びだと、私が想像するものにまさに一致するように思えた。
「あなたのご主人、仏教僧院を訪れた後、とても疲れているように見えたけど大丈夫かしら」
最後の日、女たちの1人がリサに言った。
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