第12章(2)
先週、日本人の新聞記者が電話してきた。在日韓国朝鮮人組織の活動家が、その日彼を訪ねることになっていて、彼は私がその在日の訪問者と会うことに興味があるかどうか尋ねてきたのだ。この日本人ジャーナリストは、日本のその業界の者にしては、珍しくユーモアのセンスがある男だ。
私はいつも暇である。時おり、インドのカースト制度や宗教区分について、そういうことに適当に興味を持った日本の女の子たちに話すことでいくらかお金を稼ぐ。英会話と呼ばれるものだ。しかし、いつも暇である。リサはそれを贅沢な生き方と呼ぶ。
30年代のある時、朝鮮半島の人々が日本軍に連れてこられ、奴隷労働に使われた。合衆国における、黒人や中国人たちのようなものだ。
戦後日本を占領していたアメリカ人は、その朝鮮人達を同等に、つまり、アメリカ人と同等に、そして征服された日本人より上に扱った。この数千人の朝鮮人達は、その時疲弊した日本で、あらゆるものについてあくどい闇市場を営んだ。犯罪に関与し、用心棒代を取り立て、賭博場を開いた。彼らにとっては良い時代だった。
1952年にアメリカ人は去り、そして朝鮮半島はまだ混乱していた。この国外に放り出された朝鮮人達は、再び、日本が良くない所だと悟り始めた。
数年後、彼らの一部は日本政府に連行され、サハリン諸島に追放された。再び、リベリアとよく似たケースである。
残った朝鮮人達は膿んだ傷のように残された。戦争で日本人が何をしでかしたかを彼らに思い起こさせるために、彼らがいかに野蛮な民族かということを思い出させるために、これらの人達は、常にここに存在している。
日本の政府は他の国の政府同様、過去のこの遺物をいかに扱うか途方に暮れている。野党は、取り上げる論争点にこと欠く時はいつでも、この頼もしい論点を出してくることができる。平均的な日本人は在日韓国朝鮮人を毛嫌いする。マスメディアは、これも世界のどこでも同様、社会の残りの人々とは違って自分たちは神であり、親切で平等であると信じている。
この在日韓国朝鮮人達は、数としてはとるに足らないものである。しかし、こんなにも完全に単一文化的な社会においては、彼らの不調和な声が大きな雑音を引き起こすのだ。
私の友人を訪れたその韓国朝鮮人活動家は若かった。日本で生まれたと言った。父親も日本で生まれた。母親は韓国から来た。そして、彼の妻となる女もそうなるだろうという。
「君はとてもハンサムだ、きっとたくさんの日本の女の子たちが君と結婚したがると思うよ」
と私は言った。
若い人達は真面目だし、とにかく日本はとても真面目な国だ。重大な人権論争が問題となっている時に、個人的な感想を持ち出してくることは間違っていた。
「もし私が日本の女の子と結婚すれば、子供達はアイデンティティーの危機に直面するでしょう。彼らは拠り所を持てないでしょう」
友人は通訳の役をかっていた。彼は他の日本人同様、巧妙に笑みを抑制することが出来た。
「もし君がコリアンであることにそれほど固執するのなら、なぜ母国に住まないの?」
私の質問は私のお決まりのコースを辿り始めた。
「私達は意志に反してここに連れて来られたんです。そして今、母国は分割されています。私たちはどこに帰っていいのかわからないんです」
「ねえ君、それはずっと昔のことだよ。そんな馬鹿げた昔のことは忘れてしまえばいい、君は若いし、教育もある。自分自身を一個人として見ることが出来る。もっと自分を楽しんでみたら?」
私の質問が、だんだん助言のようになってきたのではないかと心配した。しかも、その若者は、彼の組織について、また日本政府が最近彼らに対して犯した罪についてたくさん話そうとしていたに違いない、彼は宣伝用の書類をたくさん持参していた。しかし、我らの通訳である友達は、それをさほど気にしてないようだった。
「私達は皆、両方のアイデンティティーが必要なんです。私達のルーツとしてのそれと個人的なものとしてのそれの両方。実際、これらは、ちょうど心と体を切り離すことが出来ないように、切り離して考えることは出来ないんです」
「じゃあとにかく、君たちが日本の人たちに何を期待するかを話して欲しい。日本の政府にして欲しいことはすでに良く分かっている」
私は言った。
それには用意があった。彼は日本の女と結婚する気はないが、日本の人たちに彼を同等に扱って欲しいのだった。日本人同士が互いに払うような尊敬を持って。
疲れてしまった。友達は訪問者にコーヒーを出そうとしたのだが、私をちらっと見て心を変えた。
後で自分達だけで飲んだ時、友達は恐らく私が、戦前と戦争中に日本が朝鮮半島でしたことを、十分知らなかったのではないかと言った。
「少しは知ってるし、残りは推測できるよ。人間はどこでも同じことをする」
私は言った。
「そう、だけど第二次世界大戦はまだ終わっていないと思う。多くの問題がまだ解決されなければならない」
「どんな戦争も解決されないよ。僕が嫌いなのは、人々が何らかの苦情を売り物にし始める時だ。これは健全ではない。特に若い人にはね」
もし、この友人が、翌月に予定されている日本における在日韓国朝鮮人の惨めな姿についての一連の執筆を控えていなかったら。私に同意していたことだろうと思う。
「私達はマイノリティーの人々の心を決して理解することはできないだろう」
彼が言った。
「そうだね、インドではよく同じことを感じたよ」
私は丁重に言った。
「でも、日本にしばらく住んでみれば、それが少しは分かるようになるかもしれない」
「その時、是非僕に会いに来て、君にインタビューするから」
私はいつも暇である。時おり、インドのカースト制度や宗教区分について、そういうことに適当に興味を持った日本の女の子たちに話すことでいくらかお金を稼ぐ。英会話と呼ばれるものだ。しかし、いつも暇である。リサはそれを贅沢な生き方と呼ぶ。
30年代のある時、朝鮮半島の人々が日本軍に連れてこられ、奴隷労働に使われた。合衆国における、黒人や中国人たちのようなものだ。
戦後日本を占領していたアメリカ人は、その朝鮮人達を同等に、つまり、アメリカ人と同等に、そして征服された日本人より上に扱った。この数千人の朝鮮人達は、その時疲弊した日本で、あらゆるものについてあくどい闇市場を営んだ。犯罪に関与し、用心棒代を取り立て、賭博場を開いた。彼らにとっては良い時代だった。
1952年にアメリカ人は去り、そして朝鮮半島はまだ混乱していた。この国外に放り出された朝鮮人達は、再び、日本が良くない所だと悟り始めた。
数年後、彼らの一部は日本政府に連行され、サハリン諸島に追放された。再び、リベリアとよく似たケースである。
残った朝鮮人達は膿んだ傷のように残された。戦争で日本人が何をしでかしたかを彼らに思い起こさせるために、彼らがいかに野蛮な民族かということを思い出させるために、これらの人達は、常にここに存在している。
日本の政府は他の国の政府同様、過去のこの遺物をいかに扱うか途方に暮れている。野党は、取り上げる論争点にこと欠く時はいつでも、この頼もしい論点を出してくることができる。平均的な日本人は在日韓国朝鮮人を毛嫌いする。マスメディアは、これも世界のどこでも同様、社会の残りの人々とは違って自分たちは神であり、親切で平等であると信じている。
この在日韓国朝鮮人達は、数としてはとるに足らないものである。しかし、こんなにも完全に単一文化的な社会においては、彼らの不調和な声が大きな雑音を引き起こすのだ。
私の友人を訪れたその韓国朝鮮人活動家は若かった。日本で生まれたと言った。父親も日本で生まれた。母親は韓国から来た。そして、彼の妻となる女もそうなるだろうという。
「君はとてもハンサムだ、きっとたくさんの日本の女の子たちが君と結婚したがると思うよ」
と私は言った。
若い人達は真面目だし、とにかく日本はとても真面目な国だ。重大な人権論争が問題となっている時に、個人的な感想を持ち出してくることは間違っていた。
「もし私が日本の女の子と結婚すれば、子供達はアイデンティティーの危機に直面するでしょう。彼らは拠り所を持てないでしょう」
友人は通訳の役をかっていた。彼は他の日本人同様、巧妙に笑みを抑制することが出来た。
「もし君がコリアンであることにそれほど固執するのなら、なぜ母国に住まないの?」
私の質問は私のお決まりのコースを辿り始めた。
「私達は意志に反してここに連れて来られたんです。そして今、母国は分割されています。私たちはどこに帰っていいのかわからないんです」
「ねえ君、それはずっと昔のことだよ。そんな馬鹿げた昔のことは忘れてしまえばいい、君は若いし、教育もある。自分自身を一個人として見ることが出来る。もっと自分を楽しんでみたら?」
私の質問が、だんだん助言のようになってきたのではないかと心配した。しかも、その若者は、彼の組織について、また日本政府が最近彼らに対して犯した罪についてたくさん話そうとしていたに違いない、彼は宣伝用の書類をたくさん持参していた。しかし、我らの通訳である友達は、それをさほど気にしてないようだった。
「私達は皆、両方のアイデンティティーが必要なんです。私達のルーツとしてのそれと個人的なものとしてのそれの両方。実際、これらは、ちょうど心と体を切り離すことが出来ないように、切り離して考えることは出来ないんです」
「じゃあとにかく、君たちが日本の人たちに何を期待するかを話して欲しい。日本の政府にして欲しいことはすでに良く分かっている」
私は言った。
それには用意があった。彼は日本の女と結婚する気はないが、日本の人たちに彼を同等に扱って欲しいのだった。日本人同士が互いに払うような尊敬を持って。
疲れてしまった。友達は訪問者にコーヒーを出そうとしたのだが、私をちらっと見て心を変えた。
後で自分達だけで飲んだ時、友達は恐らく私が、戦前と戦争中に日本が朝鮮半島でしたことを、十分知らなかったのではないかと言った。
「少しは知ってるし、残りは推測できるよ。人間はどこでも同じことをする」
私は言った。
「そう、だけど第二次世界大戦はまだ終わっていないと思う。多くの問題がまだ解決されなければならない」
「どんな戦争も解決されないよ。僕が嫌いなのは、人々が何らかの苦情を売り物にし始める時だ。これは健全ではない。特に若い人にはね」
もし、この友人が、翌月に予定されている日本における在日韓国朝鮮人の惨めな姿についての一連の執筆を控えていなかったら。私に同意していたことだろうと思う。
「私達はマイノリティーの人々の心を決して理解することはできないだろう」
彼が言った。
「そうだね、インドではよく同じことを感じたよ」
私は丁重に言った。
「でも、日本にしばらく住んでみれば、それが少しは分かるようになるかもしれない」
「その時、是非僕に会いに来て、君にインタビューするから」
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