Thinking Women

Written by Shashank Lele in 1994-5 Translated by Yoshida Mitsuko

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Location: 京都市, 京都府, Japan

July 10, 2007

第13章(3)

最近知ったのだが、範子は中くらいの大きさの家族の末っ子である。これである程度のことの説明がつく。このような状況では、人は思いきり甘やかされるか、あるいは皆の批判の的になるかのどちらかである。範子の場合後者が起こったのだと思う。彼女は可愛くもなく、聡明でもなかったのだろう。 中学校の時、私は1年間母方の祖父の家に住んでいたのを思い出す。大勢の大人と、数人の少年がいた。少年が大人と出くわした時はいつでも何かの用事、コップ一杯の水、棚のタバコなどを持って来させるとか、変わったところでは、暑い日なか何マイルも離れた所へ自転車で伝言を運ぶことなどを言いつかった。大人が使い走りを考えられない時はいつでも、私たち少年がいかに全く役立たずで、いかに生きるに値しないかということ言い聞かせるために、説教を垂れた。私にとっては、それはたった1年で済んだ、そして、大人がそれほどひどくない世界へと戻っていった。しかし、範子は全生涯をこのように過ごしたのだ。彼女はいつも機械的にへりくだっている、それは明らかだが、心の底ではいかなる種類の権威も嫌っている。そして自分自身のために、それが欲しいのだ。彼女は「大人」になりたい。

範子は完全に民主主義に乗り損ねた。世界ははっきりと高低に分割されている。これは私に、ある洞察を与え始めた。サラリーマンとの結婚は大人と結婚することを意味し、それは子供としての生活を永遠に続けなければならないことを意味する。

プリヨは恐らく、全人生をかけて捜していた弟であったかもしれない。誰かが自分のことを尊敬してくれるのは快いことであった。愛し方を教えることさえできた。年長者として、成長した姉として、女性の陰部がどんな風なものかを見せることもできた。

だが、永遠に「大人」であるのはあまりに厄介だ。弟が熱を出している時、誰がおしめを替え、看病してやるのか?

独立しており、仕事を持ち、金のある弟が必要なのだと範子は気付いたのだ。

それを日本で見付けるのは難しい。京都でちょっとの間、ある日本人の男の子に言い寄っていた。その子はシタールを習いにインドに行ったことがあった。ある日範子は私達の所へ彼を連れて来た。しかし、この子は愚かだった。私とずっと音楽について話して過ごしたのだ。この付き合いには先に進む可能性がなかった。範子は長く待てないのだ。

範子は日本人だけあって、自分の市場をよく知っている。南アジアからの労働者達、彼らはいつも日本人の妻を捜していないか? それは彼らにとって日本で安定した生活を営むためのパスポートなのだ。だからジャハンギールなのだ。

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