Thinking Women

Written by Shashank Lele in 1994-5 Translated by Yoshida Mitsuko

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Location: 京都市, 京都府, Japan

July 15, 2007

第14章(1)

私は一緒に住むには疲れる人間に違いない。

「確かに彼は他の人を圧倒するわ」

妹は一度、私の前の妻にそう書いた。生計の維持と関心事の追求を両立させようとすると、近くにいる人たちの神経にさわることがある。リサは誰よりもうまくそれを扱うことが出来ると思うが、常に限界がある。

リサは髪の毛を引っ張られんばかりに、はやく動くことを強いられた。そして、彼女にはその目的が全く分からない。

自分が不幸せで、淋しい時には、いろんな考えが嵐のように頭に集まる。すべてを即座に打破したい。その時には、自分が行動するように選ばれた者であり、解決するように選ばれた者であるということを心は信じて疑わない。

幸せが来ると本能は鈍くなる。埃は静まる。そこには雨の後の涼しい爽快な世界がある。普通の何の変哲もないことが、どれも美しく興味あるものに見えてくる。文明の行く手に待ち構えていると思っていた真剣な危機は、次第に遠のき始め、そしてしまいには記憶から消えてしまう。

京都のトマトの値段が、飢えて惨めなソマリアの子供たちのよりも優先的な問題となる。

リサにも似たようなことが起こった。そして私にも同じように感じて欲しいのだ。しかし、私は永遠に落ち着かない馬鹿者である。

人々はいつも、私がもらい物のあらを探す、と批判する。私を恩知らずと呼ぶ。学生時代、フラッシュと呼ばれるトランプゲームをよくしたものである。ポーカーに似ている。一度も勝ったことはなかった。ゲームの流れにどのように合わせたらいいのか分からなかった。3、4時間のゲームで15分か20分、カードが自分に都合の良いように回わる時がくる。その時が、大きな勝負に出、ポイントを稼ぐ時なのだ。その他の時は、損失を最小限に押さえていなければならない。だが、私は決してそれを学ばなかった。つきがあろうがなかろうが始めから終わりまで勝負し続けていたのだ。永遠の楽観主義者。そして一度も勝ったことはなかった。ビジネスにおいても同じようなパターンに従った。

なぜ私は人生をもう少し冷静に捉えられないのだろうか。なぜ少し休んで、食べたものをよく味わったり出来ないのだろう。なぜ、このように次のエピソードへと絶え間なく計画し続けるのか?

そして、急いでいてつまずくと、全世界が私を助け起こすために走って来て欲しいのだ。助け起こして再び健康になるまで看護して欲しいのだ。一体、私に成長するということがあり得るのだろうか。

ひとりぼっちだった年月に、私は結婚が民主主義的な制度ではないという、かなりもっともらしい理論を築き上げていた。私は家庭が国や州同様、ただ他のグループを利用するためだけに作られた、政治的団体にすぎないという動かぬ確信を持っていた。

実際、私は以前マスターベーションを最も理想的な性行為として支持する小論を書いたことがある。それのみが人間に本当の意味での絶対的な自由を与えてくれるのだ、と書いたのを覚えている。

リサの変化を観察し、自分自身の立場を思い出す時、考えというもののはかなさをさらに切実に実感し始めるのだ。

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